不登校だったけど、なんとか生きてる

社交不安障害が寛解している学生のひとりごと

以前までの生きづらさと最近の生きやすさ

最近、死にたいと思うことがなくなった。

嫌だなとか、しんどいな、って思うことはもちろんあるけど、死ぬほどじゃないなって思える。

ひどい時は毎日のように死にたいな〜と思ってたし、なんかふとした時に「あ、このまま死にたいな」って思ってた。それはその瞬間が幸せだったから、幸せなまま時を止めたいのもあったし、なんてことないタイミングで思うこともあった。何もしてない時とか。

 

それと、「生きづらい」って感覚がほとんどなくなった。

前までは私は普通に(普通って何?って話なんだけど)人と話すことができないし、過ごせないし、とにかく私は人間として生きるのが向いてない、と常々感じてた。だからといって他の生物として生きられる自信もなかったけど、人として生きるより幾分マシだと思ってた。

日常のささいなことで生きづらさを感じてた。

人の多い電車の奥の方に詰めて乗った時、降りたい駅で降りられなかったらどうしようとか(「降ります」「すみません」の一言が言えない)、クラスメイトに「おはよう」「バイバイ」って挨拶やたわいもない会話もできない、宅配便や電話に出るのがこわい、同世代の人と自分を勝手に比べて感じる劣等感、その他諸々。

正直、当時の私にとっても今の私にとっても、ささいなことではないんだけど、これをささいなことだと感じる人の方が多数派だと思ってる。

でも、その生きづらさを感じることも今はほとんどない。全く消え去ったのか、今がとても調子が良くてそうなっているのかは分からないけど。

ただ考え方や捉え方が変わったわけじゃなくて、以前まではできなかったことができるようになった。

上記した宅配便や電話に出るとか、定期的にバイトするとか、そんなことだけど。あ、飲食店(特にカウンターで注文するタイプ)で注文できるようになったのも大きい。

でも未だにそれらができるようになった自分が信じられないし、なんでできるようになったのかも分からないけど、できることが増えた今の自分は好きだと思える。

 

ただ過去の自分を否定するつもりはない。考え方とか。それは過去の自分が過ごした時間を無駄だったと認めたくないとかじゃなくて、いま否定すると、現在進行形で過去の私と似た考え方の人も否定することになりそうなのが嫌。

 

だから、過去の私も日々生きづらいなりに、よく頑張って生きてたなぁと思う。

過去の私がここまで頑張って生きてくれたから今、大抵のことは幸せに感じられる自分がいるわけだし。

 

薄々気づいてたけど、生きてればなんとかなるのかもしれない。