不登校だったけど、なんとか生きてる

社交不安障害が寛解している学生のひとりごと

ブログを発掘したので近況をつらつらと

このブログ、消したと思ってたのに。

 

私は熱しやすく冷めやすい性格だから、「これは今の自分にはもう必要ないな」と思ったら、すぐに捨ててしまう癖がある。人の連絡先とかも割とあっさり消してしまう。

 

一時間くらい前、勉強をしようと思ってPCを立ち上げたのだけれど、勉強に取り組む気になれなくて、おもむろにPCのパスワードマネージャーを整理していた。勉強したくないときに部屋の掃除を始めるように。

そしてはてなのパスワードが保存されているのを見つけて、「そういやブログ開設してたけど、きっと消したからログインできないだろうなぁ」と思いながら自動入力されたパスワードでログインしてみたら、あっさりできてしまった。

ブログを消してはなかったけど、限定公開にはしていたみたい。きっと更新することがなくなって、インターネットの海に漂わせたままになるのも嫌だったんだろう。読む人が読んだら自分だとバレてしまいそうだし。まあよっぽどじゃないとこんなブログ見つけることなんてないと思うけど。

 

そして自分の書いた記事を全部読み返してみた。

 

懐かしい(当たり前)。

 

でも何が懐かしいって、社会生活の何もかもに緊張や不安を感じているところが懐かしいと思った。いや、記事を読み進めていくごとに成長しているようなのだけれど(ひとつ前の記事なんて人前で発表できるようになるかもしれないなんて題だし)、今はその比じゃないよ!と、当時の自分に教えてあげたい。

 

具体的に何が変わったかなぁ。

最後に書いたのは大体1年前か。

 

sasamitaro.hatenablog.com

この時のバイトは今でも続いている。

ありがたいことに、バイト先の方々からは「そのまま社員になってくれてもいいんだよ」ということを度々おっしゃっていただけたりする。

現場の人手が圧倒的に不足しているからなのだと思うけれど。バイトとして働いていてもそれを感じる。まあ、このまま一緒に働くのは嫌だな…と思う人にはそんなこと言わないだろうとも思うので、そんなお言葉を頂いていることには胸を張りたい。

 

学校にもなんとか通っている。

なんとなく要領が分かってきたから?なのか、1年生のころに比べて2年生では欠席数が圧倒的に増えてしまったのだけど、大幅に成績を落とすようなことはしていない。

 

そうそう、遅刻することもできるようになりました。

高校生くらいまでは遅れて教室に入った時のクラスメイトの視線とかがこわくて、遅れるくらいなら休んでやる!という極端な思考だったのだけれど、私の今いるクラスが特別なのか、それとももうこの年になると”こんなもん”なのかは分からないけど、遅刻や欠席をする人がまあまあいる。そして、先生方も当たり前のように受け入れている。その人たちのおかげで、「遅刻ってそんなこわいことじゃないんだ」と学んだ。ふつう、学ぶべきところではないのかもしれないけど。

 

あとはーー、

2021年はブログを読み返した感じ、個人的革命?改革?が起こった年だったような気がして(バイトだったり、一人で出来る行動が増えたり)、当時は「これは一過性なのかな」と少し不安だった。だって、あんなに息がしやすくて生きやすいと思える日々は初めてだったから。生きててよかった!生きるってたのしい!なんて思えることがうれしい反面、また生きるのがつらい日々に戻ってしまったら、今のこの楽しい日々がまぐれだったら。

 

でも、2023年が始まって少し経った今も、昔と比べたら圧倒的に生きやすい日々が続いている。まぐれじゃなくて、本当に己の改革が成功していたのかな。

 

SNSを通して知り合った人たちと何度も会ったし、学校のグループワークでもある程度は話せるようになったし…

ふとした瞬間に「自分の成長、すごすぎる!!」ってなる。しみじみとするときもある。「すごいなあ…」って。昔の自分に比べて自己肯定感も爆上げしちゃってる。

 

まあ、昨日はクラスメイトに用があって(その人には初めて)自分から話しかけたときに手が震えたり、今日は一人で買い物をしていて、その緊張から自分が不審者のようにぎこちない動きをしてたんじゃないか少し不安になったりすることも未だにあるけど。全く不安や緊張する癖がなくなったわけではない。

ただその癖が発揮される場面や回数が圧倒的に減った。

うれしい。

いきやすい。

 

 

近況はこんなもんだろうか。

久しぶりに書いてみたら結構な量になってしまった気がする。

そろそろ勉強しないとなあ…