不登校だったけど、なんとか生きてる

社交不安障害が寛解したような会社員のひとりごと

就職したはいいものの

疲労困憊。

 

 

なにが、不安障害をオープンにして就活だ。

なにが、社交不安障害が寛解しただ。

 

結局変われない。

うまく生きられなくてごめんなさい、と、ここ数日ずっとぐるぐるしていた。

 

誰に対する謝罪なのかもよくわからない。

 

誰にも迷惑をかけずに死ぬ方法ってないのかなって考えたのだけど

死ぬこと自体が迷惑になってしまう

遺体の処理、遺品整理、死ぬ手段によっては遺族への賠償請求など

 

もう訳が分からなくなって、どうせ迷惑かかるならどんな死に方選んでも一緒じゃんとか思ったりして

 

自分でも脳がバグってるのは分かってる

生きても死んでも迷惑かかるなら生きた方がマシなこと

マシどころか自ら死に急ぐ必要なんてないこと

分かっているのに気が狂ってるから死ぬことしか考えられなかった、ここ数日

 

死ななければと思うのに結局死ぬ勇気のない自分も判明して情けなかった

「死ぬ勇気がないわけではなくて、行動に移してないだけ」ってずっと思ってた

でも死ななきゃって思いながら時間かけて外出る支度して、

「どこでどうやって死ねばいいんだ」「死ぬためには外に出ないといけない」「しんどい」「死にたいけど動くのがキツすぎる」みたいな

結局玄関前でべそべそしながら座り込んでしまって

不登校だった時のことを思い出した

 

まあここまで色々書いたけど、なんやかんやでメンタルクリニック行ったら

年単位で服用してた抗うつ薬を飲み切って、勝手に断薬してしまった影響が大きいのでは、ということになった

 

自業自得である!

 

以下、言い訳

治ったと思ったんだよ

社交不安障害の症状ほとんど出なくなって

なんかホルモンバランスが崩れる時だけ自分の感情がコントロールできなくなるなっていうのは3年くらい前から自覚し始めたけど

病院でホルモンバランス整えてくれるような薬処方してもらったら私の憂鬱の方が強すぎてどうやら効かなかった

でもまあ元々心療内科で処方してもらってた抗うつ薬は社交不安障害に対してのものだと思っていたから

「症状ほとんど出てないから薬やめたいです」って診察時に伝えたこともあったけど

「今は薬で安定してるだけで、また症状出るかもしれないし」ということで減薬とかにも至らなかった

そもそも仕事始まったことで心療内科に通いづらくなったし

予約も電話しか受け付けてないところだったから

しんどい時にはハードルが高かった

 

自分が飲んでる抗うつ薬は比較的やさしい、効き目が弱いやつって見聞きしてたから

私の症状自体も軽いんだろうし、離脱症状なんて他人事なんだと思ってた

 

そしたらめーーーーーーーーーーーーーーーっちゃしんどくなった

 

・起き上がることができない

・お腹が空いてるのは分かるけど全然入らない

・食べる動作がしんどい

・座ってるのもしんどい

・頭が詰まった感じ

 

今思い出せるのでこれくらい

そう、なんか今年の夏頃から記憶力も低下した気がしてる

なんでだろ?

 

ていうか身体症状あんまり出ないんだよね

頭痛とかめまいとか、そういうの

 

気持ちの問題、気の持ちよう、病は気からっていうアレかな?とか思って

泣き止んで「よし!美味しいもの食べるぞ~!」って口に出して笑顔にしてみるんだけど

あげた口角も勝手に下がって泣きながら「オイシイモノ、タベルヨ…」って言ってて、我ながら頭おかしいなと思った

 

なんかそうやって俯瞰で見てる理性的な自分もいて

だからますます、思考と行動が上手く結びつかないことが訳わからなくなってた

 

あ、ドラマとか音楽、家族の声さえも刺激的でしんどかったな

 

記事も書きたいな~とずっと思ってたけど書き始めるの億劫で、

とりあえず思いつくままに書いているから

全然読ませる文章になってない自覚はあるけど、まあ、備忘録ということで

 

 

最近の話し相手はチャッピー

会社員になったよ

不登校が、不安障害持ちが、会社員になった。なれた。就職した。

 

いやあ人生どうなるか分からんもんですね。

不登校になってお先真っ暗だと思っていた当時の私に教えてあげたいよ。

あなたも就活した上でちゃんと就職してるよって。

 

なんなら、会社でプレゼン褒められてるよ。

人前があんなに苦手だったのにねえ。

手足や声が震えたり、赤面したり、今はほとんどないや。なんでだろうね。

 

私は緊張したら手が冷たくなることに気づいたから、緊張しそうな時はひたすら手をほぐすことで少しでも緊張が和らげば、と思ったりして。

自分なりの緊張のほぐし方というか、緊張を受け入れる方法を見つけたのが大きいのかな。

「緊張してるのは私だけじゃないし、そもそも緊張するのは悪いことではない」みたいに自分に言い聞かせることも多くなった。

 

でもさ、本当に、自分でも信じられないんだよね。

あんなに社交不安障害の症状がほとんど当てはまってたのに、今ほとんどないんだよ。

人前で立つことはもちろん、書痙もあったし、人と食事するのもほんっとーーーに苦手だった。お話しするのも苦手だったし。電話も大嫌いだったね!家族からの電話も極力出たくなかった。出るとしたら、周りに別の家族がいる状況でスピーカーホンとか。そうしたら私が話さなくても、聞いてる家族が代わりに話してくれるから。

電車に乗るのも嫌だった。どこに立てばいいかわかんないし。奥に詰めるのがマナーなのは分かってるしそうしたいけど、いざ降りるってなった時に「すみません降ります」のひとことを言う勇気もなかった。足痛くてしんどいのに座ることも恐れ多くてできなかった。座っても隣の人を意識しすぎて呼吸の仕方が分からなくなった。自分の体臭してないかなとか、ああ今変な汗かいてるなとか、自分の動きぎこちないなとか思うと余計に汗が止まらなくなって。かといって人の前に立つのも自分に視線が向けられる気がして結局呼吸の仕方が分からなくなったりして。

お店で注文するのも苦手だった。店員さんを呼ぶスタイルはもちろんできないし、食べたいメニューを自分で言うのもできないし。ファーストフード店のようにカウンターで注文するお店は店員さんからも後ろからも視線を感じながらメニューを見て注文するなんてこわくて、出来っこなくて、友達と出かけた時にそういうお店で食べることになって(もちろん友達に行きたくないとも言えず)列にいる時に必死に食べたいメニュー覚えて、カウンターでは覚えたメニューを注文して。自信がないからカウンター上のメニュー表を見たいけど、緊張で内容はなんにも入ってこなかった。

 

全部全部、こわかった。

しんどかった。つらかった。息苦しかった。

 

その時に比べたら、今の人生が楽しくて楽しくて!

もちろんしんどいこともあるけど、でも毎日1人で泣いたり病んだりしていた当時に比べたら、今は人と悩みを共有することもできるし、

なんかほんと、人生どうなるかわかんないね。

これからまた落ちる可能性だってなくはないし。

 

こんな人生歩んできたから、こんな人生しか歩んできてないから、「不安障害だったことはマイナスだから言わない方がいい」なんてアドバイスされても、うるせ〜!!って思っちゃう。

当時の"対人が苦手"という面影がないであろう私が損しないようにアドバイスしてくれる人がいるのもわかるけど、本当にうるせ〜の!余計なお世話なの!

ひとの人生を勝手にマイナス扱いするな。

 

なんか最後は愚痴っぽくなっちゃったけど(近年そういう風に言われることが何度かあって…)、

今は人生たのしい!

 

生きててよかった!

もうすぐ学生を終える話

やっ

 

 

 

と、ここまできた。

 

残るは卒業式のみになった。

 

1年から2年くらいまではコロナ禍でオンライン授業の日々だったけど

3年から4年の前半までは対面授業になって学校やクラスメイトの酷さに気づいた日々だったけど

4年の後半からは一緒に過ごす人たちが変わって登校が憂鬱じゃなくなった日々だったけど

 

それもこれももうすぐ終わり!

スッキリだ。

やっとだ。

4年間長かった。

 

本当に4年の前半まではすぐにでも退学したいくらい辛かった。

居場所がなかった。

さっさと卒業したいと思っていた。

話の流れで交換したLINEもなにもかも、学校に関連したものはすぐに捨ててやるつもりだった。

 

でも後半から楽しいこともあった。学校が「毎日通えばいいんでしょ通えば」くらいの気持ちで受け止められるようになった。

それもこれも、常日頃一緒に過ごす人たちが変わったからだ。

人間関係は大事ですね。

人の悩みのほとんどが人間関係によるものって言うもんね。

選べるなら選んでいこう、付き合う人間

 

(標語みたいになった)

 

 

音楽聞きながら文章書くと全然まとまらないや

 

よく頑張ったなあ自分

 

もちろん周りの人たちの支えや学校の先生方のおかげはもちろんあるよ

 

あるけど、それはそれ、これはこれ

 

次は社会人が始まるなあ

 

私の人生第二章突入!

お金の余裕は心の余裕

生きてます。

 

これの一つ前の記事が今にも死にそうなテンションだったからか、日々のブログ閲覧数が以前より多かったのだけど、

なんとか生きています。

 

学校が嫌すぎて、それ以外のこともなんにもやる気が起きなくて、人生やめたいと自暴自棄にもなってメモアプリに遺書みたいなものを残したけど、ここで人生やめるほどのことでもないことは頭の片隅では分かっていて。

これから楽しいことだって少なからずあると分かっていても、全てにおいてやる気をなくしていた。

だから死ぬ勇気がないというよりは、死ぬために行動することも面倒くさくて、結局なんか今も生きてる。

 

そしたら好きなアーティストの凱旋公演に当選したりして、結局良いこともあったので、今は前向きになってる。それなりに。

ただチケット代が引き落とされたことで所持金がほぼなくなって、タイトルに戻る。

 

学生のうちに貯金できる人って、なんなんだ。趣味あっても我慢するのかな。

好きなことを我慢したくないからあるだけ使ってたら、本当に雀の涙くらいしか貯金がない。小銭が何枚か、みたいな。

 

なんならお年玉が主な収入源の時の方が貯金してた。あの時の自分は立派だった。

でもその分我慢が多かった。当時から趣味は変わってないけど、同趣味の大人たちと比べて、年齢的に趣味を思い切り楽しむことが難しかった。行動範囲も制限されるし。

その時の悔しさや悲しさが反動になって、今や浪費してしまっているのかもしれない。

でもいつ死んでもいいと思ってて。

この世にあんまり未練とかなくて。

だから貯金したところで使わないうちに死んだら勿体無いし、今のままでいいのかな。

 

今現在は本当にお金なくて心の余裕もないけど。

 

早く給料日来て。

新年があけまして

2024年になりましたね。

 

2023年はあっという間に過ぎた。色んなことがあったけれど。

果たして、しいたけ占いは当たっていたのか。あとで確かめなくちゃな。

 

2023年は精神的なストレスで体調不良になることが多かった年のように思う。

2020年くらいから私自身の世界に対する見え方がパーッと明るくなって、「これいつまで続いてくれるんだ?」という不安もありつつ、2年くらい過ごしていて、

2023年は、その世界の見え方が一時的なものじゃなくて、ずっと続くものなのかも?と思えるようになっていたからこそ、少し油断してしまったように思う。自分を過信したというか。

今までできなかったことがほとんどできるようになったからこそ、自分の限界値が分からなかったのもあるのだけど。

 

2024年は、順当にいけば、私の学生生活最後の年になる。

どうなるかな。

とりあえず、今年も自分のペースで生きられたら、それでいいや。

内定もらえたよ

小中不登校、最終学歴は無名の学校、かつて社交不安障害だった私でも、内定もらえました。

 

「社交不安障害の経験を打ち出しながらでも就活できる」って証明したかったから、ちゃんと有言実行できてホッとしてる。

もちろん、私ができたからと言って、似たような境遇の人全員ができるとは思ってない。

押し付けたくはないよ。

でも、もし過去の私のように、将来に不安しかない子がいたら、少しでも希望になれたら。

高校卒業の時点まで、人と話すこともアルバイトで働くことも就活も、なーんにも考えられなかった私でも、なんとかできたよ、と。

 

もちろん、内定はゴールじゃなくて、スタートだけれど。

ちなみに、ある程度の優劣はあれど、第一希望といえる企業はないので、就活は来年も継続する予定の25卒学生です。

 

X(旧Twitter)で就活について調べると、Webテストの解答を有償で配布?してる人がいたり、やたらと就活エージェントを勧める人がいたり…

真偽の程は分からないけど、なんだか就活で不安いっぱいの新卒を利用して稼ごうとしている輩がいるように見えて仕方ない。

 

就活垢なるものもたくさんあって、あれは、同じ境遇の人と話すことでモチベーションを保てる人にはとても良い界隈なんだと思う。

私は絶対、そこで仲良くなった人たちと比較してしまうから、しなかったけど。

 

とりあえず、ひとつ安心ができた。