不登校だったけど、なんとか生きてる

社交不安障害が寛解している学生のひとりごと

周りを見てからじゃないと行動できなかった

小学生の時、先生が白紙を配って、「名前書いて〜」と言った。

その白紙を何に使ったとかはよく覚えてないし、今回の話にはどうでもいいことなんだけど。

私は、周りがどうやって名前を書くのか見てからじゃないと動けない人間だった。

「名前を書く」という行為自体は理解しているし、筆記用具を忘れたわけでもない。

ただ、どうやって書けばいいのか、自信がなかった。

紙のどの部分に名前を書くのか?どのくらいのサイズで書いたらいいのか?

間違えたら怒られるのか?

そんなことが気になって、キョロキョロと周りを見渡してから、「みんな右上に書いてるな、じゃあ私も」という風にしないと動けなかった。近くの席の子に聞くなんてもっての外。

人によって名前を書く場所が全然違うときは先生が詳細を言ってくれるまで書けなかった。

でも、自分でもただ名前を書けばいいことは分かっているから、書き方が具体的に分かるまで名前を書けないことがしんどかった。

だから、「右上に名前書いて〜。真ん中に感想書くから字は小さめに」みたいに、細かく指定してくれる先生はありがたかった。

 

それから、いくつの時かは忘れたけど

「もしこれで私が思うように書いて違うと言われたら、細かく指定しておかない先生が悪い」

と考えるようにして、思い切って「名前書いて〜」と言われた段階で、紙の隅っこに名前を書くようにした。

みんなどうしてるかな、って周りを見たくなったけど、キョロキョロする自分が嫌だったから我慢した。ドキドキした。

でも、怒られなかった。

これでいいんだと分かった。

 

なんか「〜だった」って語尾ばっかりで読みにくくなってしまったけど、

怒られることに対して異常に緊張していた小学生時代だったなぁと思う。

今も怒られることに緊張してないわけじゃないけど。怒られるときはそれなりの理由があって怒られるのであって、名前を違う位置に書いただけで激昂するような先生がいたらこちらから願い下げである。

今はすぐに名前が書けるようになったからとても気楽だ。