不登校だったけど、なんとか生きてる

社交不安障害が寛解している学生のひとりごと

就活で不安障害の経験を話すのはアウトか

私は、話してもいいんじゃないかと思っている。

というか、「話してはいけないマイナスなこと」だと思われるからこそ、私が実際に不安障害の経験を話しつつも内定をもらえるひとりになりたい。

だれかの希望になれるように。

 

私は人と話すことが苦手だったことを、包み隠すことなく就活している。

なんなら、自身に関することは、嘘偽りなく話している。

嘘がつくのが下手なのもあるけれど、やっぱり嘘をついて入社したって、その後しんどくなるのは自分だと思っている。

 

でも、私の母はそれを快く思っていなさそう。

先日、母と話している中で、「マイナスに思われるようなことはわざわざ言わなくてもいいと思う」と言われた。

それは確かにそうなんだと思う。

 

でも、正直、今の自分になるまでの経験や価値観のもとになっているのは、不安障害だった頃の出来事がほとんどだ。

だって、私は私の人生の半分以上、不安障害として生きてきた。

不安障害は私にとって、切っても切り離せない、自分の一部である。

今現在、寛解はしているようだけど、完治ができるのか分からないこの障害と私は一生付き合って生きていかなければならないんだと、中高生の頃に悟った。

大げさに表現していると思われるかもしれないけど、大げさにでも表現しないとつらさが伝わらないのが、不安障害を含む精神疾患だと思っている。

 

私の一部である不安障害が「マイナスなこと」であると言われるのはすごく悲しいけれど、所詮、慣れでなんでもできるようになっていくあなた方には、ただ隠す必要のあるマイナスなことなんでしょう、という黒い感情があるのも確かだ。

でも、こういう感情も、私の価値観なんだ。

 

私の行動のほとんどは負けず嫌いからきていると思う。

不登校の頃に自宅で一人勉強を続けられたのも、「不登校だから成績が悪い」と、不登校を原因にされたくなかったからだ。

 

今もそうだ。

精神疾患だったことを公表して就職はできない」という一般的な認識があるなら、私がそれを覆したい。

その認識に囚われて、自分を隠して就職したって、きっとどこかでミスマッチが起きる。

 

モヤモヤした感情を抱えているからか、なんだか話が色んな方向に行ってしまった気がするけど、

要は、不安障害である自分がベースとなって過去のいろんな経験や今の価値観に至っているから、不安障害のことを「マイナスなこと」として覆い隠して話すと、薄っぺらい表面上の話しかできない気がしている。だって、私の芯はそこにないから。

 

母と話しても最終的に理解は得られなかった。

だったら、私が「マイナスな話をしても、就職ができる」という自論を身をもって立証するしかないと、そう考えてる。

 

一番身近な存在の母に否定されてしまうと、正直こわい。

私の考えは間違っているのだろうか。

これで、母の言う通りになって、本当に就活を終えることができなかったら。

 

でも、これを隠して、排除して自分の経験を話すようなそんな器用なこと、私にはできないし、

これを理由に採用を見送る企業なら、私からも入社は見送らせていただく所存である。

(不採用のフィードバックでもなければ、何が原因で落ちたかは分からないけど)

 

今の私の就活のモチベーションはここにあるし、ここにしかないかもしれない。