不登校だったけど、なんとか生きてる

社交不安障害が寛解している学生のひとりごと

甘え、気の持ちよう、慣れ、自意識過剰

タイトルは、私が社交不安障害真っ只中の時に親に言われてつらかった、かなしかった、やるせなくなった言葉

 

親は別に、私を責める意図で言ってる感じじゃなかった。

 

「あなたの考えすぎだよ〜」

「慣れるしかないね」

「気の持ちようで変わるよ」

 

「だって私も発表とか苦手だったから、あなたの気持ちはわかる」

 

 

わかってない!!!!!!

 

 

叫びたかった。

今でもこれらの言葉をふと思い出しては泣き叫びたくなる。

私にとってのトラウマのようなもの。

 

わかる、って、何?

 

私がこんなに苦しいのに、学校行きたくないのに、学校行っても孤独でつらい気持ちが、本当にわかる?

わかるなら、なんで行かそうとするの?

私には意味がわからなかった。

 

同級生にも言われた。「私も発表緊張する〜。でも頑張ろう!」って。

その子に悪意がないことなんて分かってる。

励まそうって、同じ気持ちの人間がいるよって示してくれようとした。ありがたいことだと思う。

 

でも悪意がないからこそつらかった。反論できないから。そうだね、頑張ろうねって返すほかなかった。

 

 

ていうか、社交的な場面で感じる自分の恐怖が、世間一般で感じる緊張や不安と程度が違うことくらい、喋ってる感じで分かってた。

 

 

人前に立った時、人と喋る時、手足や声が震えてきて、止まれって思えば思うほど止まらなくなって焦る気持ちが

 

顔や耳が熱くなって、「あ、今の自分赤くなってるんだろうな」って思うけどどうしようもない恥ずかしさが

 

顔や耳は熱いのに、手足は震えて、喉がカラカラになって、冷や汗をかいて、あくびが止まらなくなるあの感覚が

 

トイレで隣の個室に人の気配がしたら排尿したくても力が入れられなくて、用を足してないけどトイレットペーパーを水に流して、手を洗って、あたかもトイレ終えました感を出すのが

 

人前でご飯を食べるのが苦手で、給食や間仕切りのない飲食店で食事をすることになったら、周りの視線や会話が気になって美味しく食事ができなくなるのが

 

電話に出るのが怖くて、家族からの電話も怖くて、外で電話に出るなんてもっての外で、唯一出れるのが家で他の家族がいる中スピーカーホンにする時だけで

 

インターホンに出るのも押すのも怖くて、自宅にいる時にインターホンが鳴ったら、物音を立てないようにやり過ごしたり(宅配の方にはめちゃくちゃ申し訳ないと思ってる)、

 

そのつらさが、しんどさが、本当にわかる?

 

 

今の私は、これらの症状が全くおさまってるから、もう何を言われても平気だけど。

それこそ、うちの親は「慣れるしかない」という言論を、私が何度反論しようと一切変えなかったから、今の私は「本当に慣れでなんとかなったー!」って適当に話を合わせてるけど。私の親は「ほら、言った通りでしょ」なんて得意げな顔をするけど。

 

「慣れ」だけでここまできたなんて、まっっっっったく思ってない。

 

そんな二文字で、私のあの苦労が、悲しみが、つらさが、努力が、片付けられてたまるか。

 

だから、現在進行形で社交不安障害もしくはなんらかの精神疾患になっていて、かつ周りの人の言葉に苦しんでいる人がいたら伝えたい、あなたは一人じゃないと

学校行きたくなくて草超えて鬱

しんどい。

 

うるさいクラスメイト達の声が。存在が。

周りに恵まれてるのに努力しようとしないクラスメイトが。

そんなクラスメイトに構って構って、真面目な生徒達には積極的に関わろうとしてこない先生が。

うるさくても軽く注意するだけで終わらせる先生達が。

 

もう全部つかれた!

 

なんでただ学校に通うだけでこんなに疲れなきゃならないんだ。

 

そもそも荷物も重すぎる。

なんだこれ。肩こりの原因にしかならないだろ。

 

なんでバイトある日に限って帰る時間遅くなるんだ。早く帰らせてくれよ。

 

お腹空いたし。

 

しんどいし。

 

美味しいご飯が食べたい。

何も気にせずに遊びたい。

真剣に授業を聞ける環境であってほしい。

 

なんで、なんで、学校で、そんなクラスメイトの話聞かされなきゃならないんだ。聞きたくなくても聞こえてくるのはどうしたらいいんだ。

 

授業もそうだ。

 

自分一人ならこれはこうしようとか、あれはああするといいだろう、ってどんどん進めるところも、グループワークだと詰まってしまう。

 

私自身説明が下手くそだから、提案しても他の人が理解できるように伝えることができない

 

それを上手くする方法を学ぶのがグループワークなんだろうと思うけど、単純に一人でできるものを分担しなければいけないワークは少しつらい

 

 

とにかく

美味しいものが食べたい!!

夕方の心療内科、めちゃくちゃ人が多い

心療内科に月1のペースで通って、抗不安薬を処方してもらってる。

以前までは学校が早く終わってたから、12時〜16時の間には診察受けに行けてて。

待ってる人も全然いないから、計10分くらいで受付→診察(現状報告のみ)→会計まで終わらせられてたんだけど。

 

最近、学校の終わる時間が遅いから、受診しに行くのが学校終わりに寄るような形になってて。

18時くらいに病院に着くんだけど、座って何かを待ってる人がめちゃくちゃ多い。診察を待ってるのか会計を待ってるのかは分からないんだけど。

で、18時の予約でも、呼ばれるのは18時半とか。

 

混み合ってるのはただ患者が殺到してるだけで病院のせいではないと思うから、怒ってる訳ではないんだけど、なんせ学校終わりに直接受診しに来てるから、めちゃくちゃお腹空いてる。

 

で、こじんまりとした心療内科だから、大病院にあるような待ち時間や待機人数の表示とかはないから、ひたすら呼ばれるのを待ってる。

そしたら30分くらい経ってる。

 

もうお腹が空いて仕方ないんだよね。なんなら待ってる間ずっとお腹鳴ってるし。今でこそ腹鳴に対する恐怖はマシになってるけど、昔の私なら耐えられなかったよ。

 

だから、できれば平日夕方の受診は避けないといけないね。

定期的な現状報告の、たった5分の為に30分待ってるの、普通に考えるとおかしくなりそう。

まあ、診察を受けないと薬をもらうことはできないから、仕方ないのだけど。

 

ちなみに病院で診察・会計が終わっても、門前薬局に行くとまた待ってる人がいっぱいいて、さらに時間がかかるっていうこともある。

 

今の私は症状がほとんど無いから耐えられるけど…

これ、不安真っ只中の人にとっては、なかなかつらいものがあると思う。

 

なんか、いい感じにならないかな。

 

 

初めて路上教習受けてきた振り返り

やばい。

明日、路上教習デビューするんだけど、緊張してきた。

 

仮免の技能試験に落ちた時は絶望してたけど、2回目でなんとか受かって、少し気楽になったと思ったのに。

 

ということで現段階で不安なことを羅列してみる。

 

・ちゃんと運転できる気がしない

・事故りそう

・こわい

・車線変更とか合ったらどうしよ

・速度の空気読める自信ない

 

吐きそう。

 

 

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というのが昨日までの下書き。

今日、路上教習デビュー戦を2時限分してきた振り返りをする。

 

  • ちゃんと運転できる気がしない

→「ちゃんと」っていうのが抽象的な表現で振り返りづらいところだけど、運転はできた。まあ前回の仮免許の試験(2回目)の受験からそんなに期間空いてないから、感覚をまだ覚えてたのかも。

ていうか、そういうふわっとした不安で自分を追い込むのは良くないね。今振り返りながら思った。

 

  • 事故りそう

→事故らなかったよ!よかったね!!

 

  • こわい

→緊張のせいか、乗り込む時に車の上部に頭ぶつけるとかはあったけど、運転自体は怖がらずにできたかも!

ただ、すぐ隣の車線を大型トラックが走っていくのはこわかった。それは致し方ない部分である。

 

  • 車線変更とか合ったらどうしよ

→あった。なんなら車線変更・合流・右折と盛りだくさんだった。

でも合流は「自然にできてる」って褒められた!

車線変更も最初はグインってハンドル切っちゃって教官に軽く指摘されたけど、2時限目(1時限目とは別の教官)では特に言及されなかった。よくできた。

 

  • 速度の空気読める自信ない

教習所内だと指示速度の30km/hが自己最高速度だったのに、路上に出たら道路の指示速度は40〜60km/hが当たり前だった。もちろんそれを予想してたから不安だったんだけど、周りの空気を読んだら意外と出せる、40〜60km/h。

なんなら速い車の後方を走ってて、気付いたら60km/hを少し超えてたから慌てて減速したくらい。

 

こんな感じだったかな。

教官に「ハンドル持つ手がガチガチ」とは言われちゃったけど、まあ初回だしね。終わった時の達成感たるや。

振り返った結果、どの不安も的中はしなかったから、今度からは少し安心して通えそうだ。

がんばろう。

学校の先生と仲良く話してみたかった

私は、小学校も中学校も高校も、ずっと「真面目な子」みたいなポジションにいた。

それは先生から見てもきっと同じだったと思う。

「○○さんは優秀だね!」、「○○さんはさすがだね!」って、どの時代の先生にもよく言われた。それは、素直に嬉しかった。

でもそれと同時に、私って「さん付け」なんだ、って思った。

なんか、距離を感じるんだよね。名字にさん付け。

同じクラスの明るいあの子は、みんなから呼ばれているのと同じあだ名で呼ばれてるのに。とか思ったりしてた。

 

どの時代の学校の先生も、私に対する興味を感じられなかったな、と思う。

まあ受け持ったクラスの子全員に興味を持つことは難しいかもしれないけど、やっぱり「手のかかる子ほどかわいい」ってあるんじゃないかな、って子供ながらにすごく感じた。

私は「手のかからない」側の子だったと思う。だから、放っておいても問題ないって思われた気がする。

良く言えば先生に信頼されてるんだけど、寂しかったのかもな。

 

仲良くなった同級生には、(真偽のほどはともかく)「話すとおもしろい」、「話すとよく喋る」とよく評された。もれなく「話してみると」という条件付きなのが面白い。

だけど、人見知りで対人恐怖症だった私そのものをうまく表現してると思う。

だからこそ、先生と話せないのがもどかしかった。自分から話しかけにいけないし、他の子みたいに先生にタメ口なんかきけないし、先生に興味をもってもらうほかなかったけど、興味もってくれる先生はあまりいなかった。

 

これはまた少し違う話かもしれないけど、小学校の時、私はクラスメイトに絵がうまいとよく褒められた。

図工の授業で絵をかいたら、「○○ちゃん、うまい!すごい!!」ってよく言ってもらえた記憶がある。クラスの中で「一番いい絵」が廊下に飾られるなら、「○○が絶対選ばれる!」って言ってもらえた。

でもどの学年の時も、私の絵が選ばれることはなかった。

なにも「私の絵が選ばれて当然だ」と思っていたわけじゃない。

ただ、「○○が絶対選ばれる!」って言ってくれてるとき、先生は肯定も否定もしなかった。真顔でもないけど笑顔でもない、よくわからない表情でそれを見てた。

他の子が絵を先生に見せに行った時は「すごい!上手!」って言ってた。

私の絵が歴代の先生に褒められた記憶は、あまりない。

だから私は「先生が気に入る絵は私が描いたものではない」と感じた。

 

高校の時も、私はクラスで大人しい方だったと思う。

中学不登校を経ての高校生活だったから、集団社会にブランクがあったのもあって、その高校を選んだこと自体は今も後悔していないけど、高校生活自体はずっとしんどかった。

そんな高校の中で、私と境遇や考え方が近い、今でも仲良しの友達さくら(仮名)ちゃんができた。さくらちゃんにはその高校生活が合ってたみたいで、私より全然、先生と話してたと思う。

それで、高校を卒業してから、さくらちゃんと一緒に、高校時代の先生と会う機会があった。しんどい高校生活からすでに解放された私は、他人と話すことにあまりためらいがなくなってたから、当時は先生と全く話すことがなかったけど、久しぶりに会ったら何か話せるかな、と思った。

でも、先生は私に向かって「さくらちゃん、最近しんどいけど頑張ってるらしいね。(さくらちゃんから)話聞いてる?」と話しかけてきた。

もちろん、さくらちゃんが最近しんどいけど頑張ってることは、本人から直接聞いてた。さくらちゃんも頑張ってるんだなあと思ってた。

だけど、「あ、この先生、今の私にも興味がないんだな」と思ってしまった。

もちろん、高校生だった時に全然話さなかった奴と、今更なにを話題にすればいいのか分からなかったかもしれない。それなら共通の話題である、さくらちゃんのことなら話しやすいと思ったのかもしれない。それか、私が「自分のことは話したくない」人だと思って気を遣ってくださったのかもしれない。

けど。

「まあ、私ってそんなもんだよな」と思ってしまった。

 

興味を持たれるほどの人間性が、価値が、私にはまるでない。

ふとそのことを考えて、悲しくなった。

 

ただ、関わろうとしてくださった先生方がいないわけではない。お世話になった先生方の名誉のために記しておくと。

小4の時の担任は「昔の私を見ているよう」だと保護者懇談で私の母に話していたらしい。

小6の時の担任は、私にあだ名をつけて距離を縮めようとしてくれた。

中学の時の担任は、不登校だった私にとにかく熱心に、親身に関わってくれた。

 

小6の時の担任は当時いる先生の中ではとても若くて、私たち生徒に近い存在だった。

だからこそ、通学時間で先生にばったり会わないかな、ばったり会ったら先生と二人でお話できるかな、なんて思っていた。それはもう恋する乙女ばりに。

 

その後いろいろあって不登校になったから、先生にはとても心配と迷惑をかけてしまった。

でも中学~高校あたりのある日、母のママ友繋がりで先生のメールアドレスを教えてもらえて、2回ほどやりとりをしたことがある。

でも、当時はまだ対人恐怖症が少しマシになった程度だから、あまり深くやりとりすることができなかった。先生も忙しいかなとか考えて。

でも今なら積極的に話せるし、会える気がする。

先生はもう、私のことは忘れているかもしれないけど。

 

また機会があればいいなー。

もっと若いうちにグレたらよかったのだろうか

って、こないだふと思った。

 

私は、比較的真面目に生きてきた方だ。

提出物は必ず期限までに終わらせていたし、提出を忘れたこともないし、言われたことはきちんと守る。

今でも、地元にある交通量が少なくて信号が長い地点を多くの人が赤信号でも渡っていくが、私はどれだけ急いでようと信号無視はしないと決めている。

 

そうやって生きてきた。

それが正しいと思っていた。

でも、真面目に生きてたら、頭が固いとか、そういう風にも捉えられるみたいで。

 

あとは、クラスメイトを見てて思うことがあって。

私のクラスメイトには騒がしく、またその内容も大声で話すこととしてはいかがなものかと思う人が数名いる。

家族に吐き出すにも憚れる内容なので、この際ここに吐き出させてもらうが。

以前「女は穴があるからいいよな~」という話題が聞こえてきた。あとは日常的に女とヤっただの、ヤってないだの、そういう下世話な話でも不快度が高めの話題を、騒音レベルで話している。あれは間違いなく騒音。私にとっては交通量の多い道路と同じくらい騒がしく、ストレスである。

とにかくその人たちのホモソーシャルが強くて正直反吐が出る。出てる。

 

まあ、そんなことはさておき、

 

そんな人たちでも勉強はできるらしく。

品のなさはワースト1だが、成績は(おそらく)文句なし。

この人たちの発言や態度を不快に感じる度合いが人によって異なるであろうことに対し、成績という定数化された評価は高いところにあることが、私はめちゃくちゃ厄介だなあと思う。文句つけてもこっちが負けそうというか。

そういう人たちは外面がよくて、立ち回りがうまくて、要領もいい。

 

それがなんか、やるせなくなってしまう。

「やるせない」という言葉が適切なのかちょっとわからないけど。

 

どれだけ真面目に生きても、素行は悪いが要領のいい人たちに肩を並べられてしまう。

最初の方で書いた信号無視の話もそう。

信号無視をする人たちは、明日も明後日も、きっと同じ地点で信号を無視をして、私より早くもう一つ先にある信号を渡るんだろう。

 

バカみたいだ。

 

真面目に生きてるのが。

 

真面目に生きても、ある程度手を抜きながら生きている人たちが同じ程度の評価や結果を得られるなら、絶対にそっちの方が楽でいいじゃないか。

 

って、最近考えるようになった。

だからって信号無視をし始めよう!とはならないけど、自分自身の学校での過ごし方は改めようかなんて思い始めている。

なんなら今よりもっと子供の頃に、たまには授業をサボって遊びに出かけたりしてもよかった気がする。

改札出た瞬間に立ち止まるのやめて

さっき、改札口に向かってたら、前に歩くスピードが遅いおばあさまがいた。

まあ仕方ないか、直前で隣の改札に逸れたら後ろから来てる人と当たるかもしれないし、と思ってスピードを合わせておばあさまに続いて改札を出ようとした

ら、おばあさまが改札を出た瞬間に立ち止まった。

改札内に閉じ込められる私。

 

2秒くらいしたらおばあさまが動き出したから改札口とおばあさまの隙間から足早に改札を出たけど、イイイーッ!!ってなった。

 

シンプルに危ないからやめてほしい。

 

あとエスカレーターの降り口で立ち止まる人も一緒。

階段の昇降中に立ち止まる人も一緒。

流れ作業みたいにみんなが動いてるところで、イレギュラーな動きをするな。

するなら、相応の予兆を出してくれ。

 

スピードが遅いのは仕方ないにしても。

改札入っていった時と同じスピードで出ろ。そして止まりたいなら背後から人が来ていないか確認してから端に寄るなりしてくれ。

 

おじいさまおばあさま世代からおじさまおばさまに多い。たまに小学生くらいの子もいるけど。

 

電車に乗ってると不満を感じることが多い。

 

ラッシュ時は奥に詰めろ。

乗り込んだ瞬間に安堵して止まるな。後ろ並んでるから。

あと電車到着したと同時に前に割り込んでくるやつ。

後ろに並んでたのに数秒が待ち切れないのか前に割り込んでくるやつ。

 

 

なんだおまえは。

 

 

なにをそんなに生き急いでいるんだ。家族に一大事でもあったのか。にしては乗り込んでから立ち止まって席探すよな。

そんなに急いでいるなら、座りたいなら、もっと時間に余裕を持って家を出ろ。予定を立てろ。空いてる時間帯を狙え。

 

秩序を乱すな。

 

と思う。

割り込みもおじいさまおばあさま〜おじさまおばさま率の高さは以上(個人的観測内)。