不登校だったけど、なんとか生きてる

社交不安障害が寛解している学生のひとりごと

もっと若いうちにグレたらよかったのだろうか

って、こないだふと思った。

 

私は、比較的真面目に生きてきた方だ。

提出物は必ず期限までに終わらせていたし、提出を忘れたこともないし、言われたことはきちんと守る。

今でも、地元にある交通量が少なくて信号が長い地点を多くの人が赤信号でも渡っていくが、私はどれだけ急いでようと信号無視はしないと決めている。

 

そうやって生きてきた。

それが正しいと思っていた。

でも、真面目に生きてたら、頭が固いとか、そういう風にも捉えられるみたいで。

 

あとは、クラスメイトを見てて思うことがあって。

私のクラスメイトには騒がしく、またその内容も大声で話すこととしてはいかがなものかと思う人が数名いる。

家族に吐き出すにも憚れる内容なので、この際ここに吐き出させてもらうが。

以前「女は穴があるからいいよな~」という話題が聞こえてきた。あとは日常的に女とヤっただの、ヤってないだの、そういう下世話な話でも不快度が高めの話題を、騒音レベルで話している。あれは間違いなく騒音。私にとっては交通量の多い道路と同じくらい騒がしく、ストレスである。

とにかくその人たちのホモソーシャルが強くて正直反吐が出る。出てる。

 

まあ、そんなことはさておき、

 

そんな人たちでも勉強はできるらしく。

品のなさはワースト1だが、成績は(おそらく)文句なし。

この人たちの発言や態度を不快に感じる度合いが人によって異なるであろうことに対し、成績という定数化された評価は高いところにあることが、私はめちゃくちゃ厄介だなあと思う。文句つけてもこっちが負けそうというか。

そういう人たちは外面がよくて、立ち回りがうまくて、要領もいい。

 

それがなんか、やるせなくなってしまう。

「やるせない」という言葉が適切なのかちょっとわからないけど。

 

どれだけ真面目に生きても、素行は悪いが要領のいい人たちに肩を並べられてしまう。

最初の方で書いた信号無視の話もそう。

信号無視をする人たちは、明日も明後日も、きっと同じ地点で信号を無視をして、私より早くもう一つ先にある信号を渡るんだろう。

 

バカみたいだ。

 

真面目に生きてるのが。

 

真面目に生きても、ある程度手を抜きながら生きている人たちが同じ程度の評価や結果を得られるなら、絶対にそっちの方が楽でいいじゃないか。

 

って、最近考えるようになった。

だからって信号無視をし始めよう!とはならないけど、自分自身の学校での過ごし方は改めようかなんて思い始めている。

なんなら今よりもっと子供の頃に、たまには授業をサボって遊びに出かけたりしてもよかった気がする。