不登校だったけど、なんとか生きてる

社交不安障害が寛解している学生のひとりごと

たかが出席率のために無理して登校してる

今日は天気が悪い。

雨が吹き荒ぶっていたから、カッパを着ても傘をさしても服の裾がびしょ濡れになってる。

それでも学校に行くのは、出席率が高い状態を維持したいから。私にとってそれ以外に理由はない。

 

私は奨学金を借りているから、成績や出席不良だと奨学金の貸与を打ち切られる可能性がある。

日本学生支援機構の公式HPによると、

「出席率8割以下など、学修意欲が低いと学校が判断した場合

は「警告」が、

出席率が5割以下など、学修意欲が著しく低いと学校が判断した場合

は「廃止」となるらしい。(適格認定(学業等) | JASSOより)

 

単純に、出席不良だと学校の成績にも関わってくるのがめんどくさい。

 

でも学校に行っても私にとって良いことは特にない。

仲良い友達がいるわけじゃないから、誰かと話すこともない。

なんか今までの経験上、休み時間に同級生と話すというと先生や授業に対する愚痴を聞いて適当に話を合わせることが多いのだけど、正直あんまり共感できないことも多い。ていうか、共感できたとしても「ずっと愚痴言ってるなあ」ってなってくる。

先生たちだって人間だから多少のミスはあるし、授業だって指導要領がある以上はある程度のルートを辿っていかなきゃならないんだろうし、とか色々想像すると、「まあ仕方ないかもね」って思うのだけど、似たような考え方をする人はあまりいないのかもしれない。

 

同じ授業を受けてる人たちは声が大きくて、うるさくて、ずっと騒いでいて、動物園みたいだし(むしろ動物園の動物たちの方がよっぽど大人しくて利口な気がしてきた)。

そんな人達を先生達は慣れっこなのか、窘める程度で、その人達に対する扱いを厳しくするわけでもない。授業妨害されてると感じないのかな。妨害されることに慣れっこなのかな。

 

授業自体も、受ける価値があるのか、正直わからない。

私は不登校になった頃より以前から、学校の授業の進め方に疑問があった。

それこそ、当時は学習指導要領なんてものがあることなんて知らなかったのも大いにある。まあ、学習指導要領がどんなことをどれくらいの細かさで定めているものなのかは知らないからあんまり関係ないかもしれないけど、少なくとも私の通っていた小学校の先生は教科書をあまり使わなかった。算数は特に、教科書を開いた記憶がほぼない。

だから、「なんで教科書には分かりやすく説明も図もあるのに使わないの?」「なんで教科書に載ってる順に授業しないの?」っていうことが疑問だったし、「学校に行かなくても、教科書を順に追っていくだけで知識を習得できるのでは」という疑問もあった。

実際に中学の頃に不登校になって、教科書を追って勉強していた。今となっては忘れたことも多いし通信教材も活用していたが、当時のテストではそれなりに点数は取れていた。

 

ということは。

「学校に行かなくても、(通信教材とか、他の媒体で補うことが必要になるかもしれないが)独学で勉強をすることは可能なのではないか」

という、小学校の頃と同じ疑問が湧く。

 

不登校の頃は習い事もバイトもしてなくて学校以外で社会と関わる場所がなかったから、学校に行かないことは大きなハンデだったのかもしれないけど、今はバイトしてるからがっつり社会の一員だし。

 

まあ、同年代が集まってる特殊な環境っていうのがいいのかもしれないけど。個人的にはそれが一番つらいのに。

 

 

とかなんとか書いてたら学校に着いた。

今日もギリギリまで休むか迷いながらベッドで過ごして、今日推しの雑誌が発売されることを思い出して、なんとか起きて家を出た。

 

推しは偉大なり。